1冊の短編小説に出会った。その本は人生で遭遇する様々な「独立」を書いたものだった。卒業、転職、一人暮らし、別れ。本にあるいくつもの「独立」は、人生の節目に発生するもののようだ。
ストンと腑に落ちた。
「独立」とは、今までの終わりであり、これからの始まりを意味する。
誤解してはいけないのは、今までや今までの自分が無かったことになるわけではなく、今までを懸命に生きた先に、新しい時と場所に出会い、新しい自分に生まれ変わる、それが「独立」なのだ。
そして、この「独立」の直前に私は今いる。いや、もしかするとこの文章を書いている時点で「独立」を果たしているのかもしれない。そう思わせるのは、30代に突入した今も感じる成長痛のせいだ。といっても身体的なものではなく、心理的なものだ。
この心理的な成長痛は、思春期に気がついたらなくなっていた身体的な成長痛と同じで、いつか終わりが来るのかもしれないし、一生あるのかもしれない。30代の私にはまだそれはわからない。
ただ、成長痛の後には変化があるということ、これだけは確かだ。痛みなく成長できるのが理想だけれど、特に心理的な成長には多少の痛みが深みを増すのかもしれない。
適度な成長痛は、歯痒さもあるけれど心地よい。そしてそれを今感じている。
少しの辛さと現実への不満、そして未来への希望野望が混ざり合っている。
ものすごく健やかだ。
私は今、人生のテーマである「心地よく生きる」を体現するために、小さいことだけれど少しづつ行動を始めている。そしてあわよくば、これが心地よい風となり、流れとなり波となり、世界の誰かの元へ届くと嬉しい。
編集長ななし